これまでの歩み


皆さんはじめまして。

 

代表の濱田と申します。

「kokopelli」のホームページにご来訪ありがとうございます。

 

これもきっと何かの縁でしょう。

拙い文章ではありますが、何かプラスになることがあれば幸福の至りです。

 

さて、このページでは私の自己紹介をさせて頂きます。

 

これまでの歩みと、起業に至るまでのストーリーを赤裸々に綴っております。

少し長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです。

 

 

それでは。

 

 

1. 生い立ち

 

私は東京の文京区千駄木という町に生まれ育ちました。

先祖代々音楽家系ということもあり、幼少期からヴァイオリン等音楽教育を受けていました。

 

今でこそ音楽は副業として稼ぎにもなるくらいに上達しましたが、当時は練習が大嫌いで、しかしそれを親に告白することは絶対にせず、そのまま中学2年まで続けました。

 

その頃から私は、人から何かを強制されることが大嫌いだったのです。

(しかし気が弱く、親の期待を裏切りたくない。友達からはいじめられる)

 

 

反面TVゲームが大好きで、こちらは1日1時間と制限され辛かったです。

 

ずっと大人になるなんて嫌だと思っていました。

学校ですら半日間拘束されますが、一日中仕事してそれを60年も続けるなんて!

 

ずっと将来のことは考えず、現実逃避して遊んでいました。

 

 

2. 転機

 

転機が訪れたのは大学受験の浪人の頃。

 

中学で成績が良く、進学校に進み、将来への望みはありませんでしたがせめていい大学に入ってモテたいと。

その想いだけで親に頼みこみ2浪までしましたがそこには落とし穴が・・・。

 

不純な動機で2浪までしたにも拘わらず、ずっと勉強をサボり成績は横ばい。

親からは怒られ冷ややかな視線。

ストレスが溜まりに溜まり、予備校ではほとんど友達もいませんでした。

代わりにハマったのは当時丁度ブームになったニコニコ動画とアニメ。(ぷよぷよにもハマりました)

受験も直前に迫りもうこれはダメだ、と半ば諦めたその矢先・・!

もう受験に合格することは諦め、むしろ「大学に入ってから何をするかが重要なんだ」と変にポジティブ転換しました。

 

その瞬間、それまでは「受験」という枠にしかとらわれず、期限が迫り「勉強しなきゃ勉強しなきゃ」と思えば思うほどストレスに耐え切れず快楽に走っていた自分でしたが、その枠が外れ、はじめて自分の「将来」について考え始めたのです。

 

「おれは一体何がやりたいんだ?」と。

 

しかし目の前には勉強しかなく、自分がこれまで積み上げてきたことも勉強くらいしかありませんでした。

その中でもよくよく考えると、「受験」勉強は嫌いだけど勉強自体はそこまで嫌いじゃなく、特に英語が好きで、しゃべれるようになったらかっこいいとか子供ながらに思っていました。そう思うと、「受験」のためではなく、自分の「将来」のために英語を勉強しよう!と思い始め、そうすると決して勉強することが強制ではなくなる訳です。将来のためだから別にずっと焦って勉強しなくてもいい。

 

 

3. 将来の夢と出会う

 

そこから受験はそっち退け(おい)で英語の重要性や上達ノウハウなどをインターネット等を通じ模索し始め、いつの間にか英語が大好きになっていました。その要領で、残り短かかったですが、ついでに受験勉強のためにもなるので「将来の役に立ちそうな部分」だけを勉強しました。その結果、短期間で急激に英語の成績が伸びたのです!(センター試験で198点)

 

この経験が味をしめ、他の科目もまずは「好きになってしまえばいい」と、受験は考えず、気楽に勉強をしました。

それまでの勉強効率が嘘のようでした。流石に間に合わず、結果受験には失敗して現役の時すべりどめで受かり蹴った大学に行くことになりましたが、私にとっては最早どうでもいいことでした。大学入学前に、自分の「好きな」気持ちを大事にすることに気づけたことが大きく、そう考えると2浪も決して無駄ではありませんでした。

 

一方予備校では、自分なりの講師批評ばかり考えていた頃でしたが、笑えて教え方に「説得力があって分かりやすい」講師が好きで、彼らに対する憧れがありました。

自分も説得力を持って説明するのは割と得意だし好きだぞ、と。

なんせ無駄に2浪もしていましたから、いかに効率よく短時間で勉強するかのノウハウばかりを模索し、実際の勉強には一切手がつかないなんて在り様でした。

しかしそこで身につけたノウハウを、人に教えたい欲求が湧き出てきたのです。(のちにバイトで塾講師となる)

 

ここで私は、自分は将来「英語を教えたい」という夢を明確に描いたのです。

 

そうです。所詮仕事なんて自分で選ぶことができるのだから、どんな大学に入ろうが好きな仕事に就けば関係ないということに気づけたのです。

昔は仕事を一生続けるなんて絶対嫌だと思っていましたが、好きなことだったら、「むしろ一生を捧げたい」と思うようになったのです!ただ、目標がアカデミックな分野に昇華できただけであって、根元の動機は「モテたい」という不純に変わりはないのかも知れませんが(笑)

 

 

4. ピアノに没頭

 

大学に入ると、昔やっていた音楽を思い出し、折角ある程度できるようになったスキルを捨てるのは勿体ないなと感じ、ピアノのサークルに入りました。

しかし運悪く最も忙しい学科に入ってしまったようで、毎週の実験レポートに追われ英語の勉強がそっち退け(おい)になりました。

 

私はいつも肝心なことを先延ばしにしてすっかりサボり癖がついてしまいましたが、その脇道に逸れて身につけたことは意外と馬鹿になりません(当時観まくっていたアニメの知識ですら今では財産と思ってます)。

 

 

その代わりピアノに傾倒し、どんどん深みにハマっていきました。

 

他の部員たちは幽霊部員や、単なるエンジョイ勢が多かったですが、私はそこで「どうせやるからにはピアノのスキルを上達したい」と向上心を持ち、先輩に教えを請いました。

最初は渋々だった先輩も、だんだんちゃんと教えてくれるようになり、私はそこからとある”コツ”を学び盗ることができました。たまたまその先輩はスキルが高く、その「コツ」を知っていたことは運が良かったです。

 

具体的に言うと指を第3関節から曲げ、脱力することなのですが、その訓練を積むと本当に驚くほど指が動くようになり、まるでプロのように速いパッセージも弾け、僅か3ヶ月という短期間でショパンの難曲を弾きこなす程になりました(このエピソードはのちに就活の自己PRで使われる)。

 

僅かな時間で驚くほどの成長を喫したことは、私にとって大きな自信となりました。

ここから学びとれることは、人間やりたいと思ってできないことは何一つないということです。

仮に壁にぶつかったとしても、それは上達の「仕方(ノウハウ・コツ)」がうまく掴めてないだけであって、それを見つけていないに過ぎないのです。なので重要なのは、そのやり方を「探す」ことなのです。

その点今の時代はインターネットがあるから便利ですよね。

実際、大抵のことは検索して訓練をすれば身についてしまうと思います(検索ワードを工夫するのは大切かも知れません)。

でもたまにネットに書いていない情報もありますから、そこからヒントを得て自分のオリジナルを編み出せれば良いですね。

 

時を経て私は(英語の勉強がロクにできてなかったので)就活を先延ばしにし、大学院に入りました。

そこでは研究生活と、就活が待ち受けていました(笑)

 

半導体の伝導機構を解明するという私にとってあまりにも難しすぎたテーマは、私に解決策を卒業ギリギリまで思いつかせませんでした。そして就活に苦労したことは言うまでもありません。

ずっと英語を教える仕事をしたかった私ですが、就活のときに色々な説明会に参加し(生まれて初めての社会勉強)、他にも選択肢があるかなと0からもう一度自分のやりたいことを自問し、熱心に説明会を聞きました。そして半導体の研究をしていたこともあり、私は新しくITに興味を抱き、その道に進んでもよいなと思ったのです(きっかけはヘッドマウントディスプレイがドラゴンボールのスカウターのようだと説明してくれた企業)。因みに専攻だった化学は、大変な実験レポートのせいでちっとも好きではありませんでした。

 

 

5. 起業のきっかけ

 

その最中、第2の転機が私に訪れました。

 

その頃SNSの黎明期で、インターネットで女の子と出会い厨していた私は(このエピソードはまた長くなるので別の機会にw)、そのSNSで男から話しかけられ、会おうと言われるようになりました。

 

フットワークの軽い私は何事かとその男に会いに行くと、なんとその男は私をナンパするでもなく只管迎合し、持ち上げてきてなにやらいい気分にさせられたところで、とあるセミナーに連れて行かれました。

 

そして話を聞いているうちにだんだんESBIなぞ訳のわからないことを言い出し、これはあれか、世に聞くねずみ講というやつか、と中学校の社会の教科書を思い出していた矢先、男はアフターだと言って私を別の男に会わせて来ました。よしきたか、と言わんばかりのタイミングで案の定勧誘を仕掛けてきて、初耳で興味津々だった私は男の話を全て聞き、「ふむふむなるほどこういうビジネスモデルなのか」と感心していました。一方で製品の説明には全く食指が動かず、早く終わらないかなと思っていましたが、彼らは良いことも言っていて、これからの時代は就職しても安定ではないし、「自分で稼ぐ力を身につけることが大事」なのだと。ふむふむ確かにそうだなと私は妙に納得してしまいました。そして彼らのその仕事は、勤め人ではなく「事業主」としての仕事なのだと。なるほど、そういう働き方もあるのか。そこで私は自分ごととして考えたとき「ピン」と来て、そうか!私も自分の手で自ら事業を起こすという選択肢もあるな、と。今までその単語を聞いたことがないわけではなかったが、まさか自分がしようとは思ったことがありませんでした。ん?待てよ?起業するということは自分で仕事を選ぶことができるというわけで、今就活で色々な道があるけど一つしか選ぶことができない・・起業ならば自分のやりたいことを全て実現させてやればいいんじゃないか!?と気づいたとき、一気に視野が開け、選択肢が広がりました。これなら今まで自分がやってきたことが全部無駄にはならず、勉強も、ピアノも、英語も、ITも全て諦める必要はなく、むしろ生かすことができる!と。

勧誘は製品に興味がなく、それを売ることに時間を費やすことは私にとって無駄なので断りました(それで友達をなくすのも嫌でした)。

 

起業するにもまだ何もわかっていなかった私は、何をして起業しようかと、どうやって稼ごうかと考えました。不労収入の話も聞いていたので、どう収入を自動化しようかと。そうこうしているうちにとりあえずは就職することに決め、無事希望のIT企業にSEとして就職することができました。

 

 

6. 人の自己実現を叶えるビジネスモデル

 

SE未経験で入社したため、研修はよかったですが、実際現場に配属になると難しすぎて技術的に全くついていけず、かと言って教えてくれるわけでもなく雑用ばかりを押し付けられたため全く成長もできず、無駄な時間を過ごしていました。

 

 一方、同時に起業のための活動・・ほとんどが受け身で勧誘を受ける一方でしたが、その後も数十社から雨あられのような勧誘を受け、最初は楽しく聞いていたのですが、だんだん鬱陶しく感じるようになり、不満が湧いてきました。

 

どの会社も自分の会社の製品は売ろうとするし、その営業をしないかと勧誘してくるけど、誰も私のやりたいことなんか聞かず、応援してくれない。。

 

しかしそれが逆に功を奏し、私にインスピレーションを与えました。

 

誰も私の応援をしてくれないんだったら、私が皆のことを応援するサービスを作ってしまえばいい

 

そう。全てを無駄にせずやりたいことを全部実現する前提であれば、それが可能なプラットホームを作ればいい。私はもともと教え好きなこともあり、人の自己実現を叶えるこのビジネスモデルを思いついたとき、非常に力強くモチベーションが湧きました。プラットホームを作るということは、私だけでなく全員の自己実現の賜物をそのまま武器にできるということでもあります。

 

また何もスキルがなくとも、場を作り、人を紹介(マッチング)する事業ならできる。誰でもできる事業なら、人に委譲して自動化することもできる!これ以上のビジネスモデルは他にないと言わんばかりで、暫く興奮が収まりませんでした。

 

さて、相変わらず勧誘を受けるものの、今度はこっちがビジネスを思いついたのだからそれを人に言っていくようになりました。

 

しかしここでさらに壁にぶつかりました!

これまになかったほど大きな壁です。

 

 

7. 低迷期

 

実はこの頃、私は浪人時代からのストレスを引きずっており、その後も英語の勉強をサボってしまったことや、友達からは変人扱い、異性からは拒否されまくり、研究や就活がうまくいかないこと、職場も望んだような環境ではなくやる気が出ず怒られまくり、完全に鬱の状態になっていたのです。

いわゆる普通の鬱ではなく、新型鬱というものです。

 

何もやる気がなく常に眠く、しかし遊びや初対面の人と会うときは社交的に元気で、家に帰ると疲れて寝てしまう生活を繰り返してました。

つまり、素晴らしいビジネスモデルを思い付きそれを人に話すくらいのモチベーションはあるものの、実際行動に移すことが全くできないのです。

外にいる時以外は大好きなピアノですらやる気が出ず、ずっと寝ていました。

 

そんな状態でも私はビジネスモデルを人に言い続け、認めてもらいたい一心でした。

 

ところが、返ってくる返答は・・

 

「なんにも行動できてないじゃないか」

 

(そんなことはわかってるよ・・今からやろうとしていることを話してるんだ)

 

他にも、

 

「そんなの無理だ。できっこないよ」

 

(なぜできるかどうかを気にするんだ?一体お前に何の関係がある??

 やりたいからやるだけであって、できるかどうかなんてやってみなけりゃわからないし、どうでもいい)

 

と、こんな感じで。

それが一人や二人でなく、会う人全員が全員そんなことを言うわけです!

 

なぜアイデアがこんなに素晴らしいのに誰もわかってくれないんだ?

まじあり得ねえわ。世の中糞な奴らしかいない。

 

そんな負の連鎖の連続で、私はますます活力がなくなっていきました。

 

そしてついに会社を退職しました。

勿論起業の意志があったからもありますが、上司のひとことが原因でした。

ロクな会社ではありませんでしたが、せめてロクな技術の一つや二つを身につけたかったです。

 

その後退職金と失業保険を貰いながら職業訓練校に通うことになり、またITのネットワークやサーバー構築系の授業でしたが、そこではそこそこ優秀なポジションにいることはできました。しかし依然として常にやる気の出ない状態で、私はもうどうしたらよいか途方に暮れていました。もう二度と就職する気はないが、ふざけて受けた会社の面接では受けが良く、「あなたは光り輝く宝石の原石のようですね」なんて言われました。

 

そんなとき、ミラクルがおきました!

 

 

8. 寛解〜未来へ向けて

 

もう何度目か(七度目くらい?)の◯mwayの会社のお姉さんの勧誘がちょっと久しぶりにありました。

私ももう慣れているので、適当にあしらうようにとりあえず一緒に食事をしていたところ、お決まりのもう一人のお姉さんが現れました。

 

私はもう相手の説明を聞く意味はないので、どうせこの人も否定してくるんだろと思いながらいつものように自分のビジネスについて話し始め、相手もこちらが懐柔されそうにないので敵意を露わに斜に構えた感じで話を聞いており、否定的な態度でした。

 

ところが話が興に乗り、こちらがうまくしゃべれていたのか急に態度が一変し、

 

「人の役に立とうとしているのは素晴らしいことだよね。」

 

と180度意見が変わったのです!

 

私は半分耳を疑いました。あんなに否定的な態度だったのになぜ・・

 

とは言うものの私は内心嬉しくなり、さらに説明を続けました。

 

すると相手の女性はそれまでよりも真剣に私の話に耳を傾け、目を見て、聴いてくれました。

 

「でもまだまだこれから頑張っていくところだよね」

 

 と。あ、やっぱりそこはわかるのか。

 

自分が行動力が人より弱いことはいい加減自覚していたので、言われ慣れました(でも動けないんだけどね)。

 

その日は私も満足して、またMTGがあると誘われ、私もOKしその日は笑顔で別れました。

 

話を反芻し、充実感がありましたが、彼女は私の話を聴いてくれていただけでなく、私に好意を抱いたんじゃないか?とさえ思えました。

 

 

次のMTGの日、私も多少楽しみに、また彼女らとその仲間に会いました。

まあ見たことあるような仲の良さそうな傾向の連中で、「いくら前回感銘を受けたとは言え私は仲間に入らないけど」と思いながら時を過ごしました。

 

そして帰り際、やはり彼女の方から真剣に誘いをかけてきました。

 

私はそれでも、「いや、仲間に入ることはできない」と断り、

それでも何度も押してきましたが、「いやできない」と断ったら漸く諦めた感じで、

その時彼女の目には涙が浮かんでいたのです!

 

ああ、やっぱり私に好意を抱いていたのか。

 

その瞬間、私の脳が物理的に「グワッ」と変化したのを感じ、頭のモヤが晴れていくの実感したのです!!

 

そして急に涙がブワッと溢れ止まりませんでした。

 

「そうか、今まで私は何を言っても人に否定され続け、誰も私の言うことなんかに興味がないと思っていたけど、私は自分の言葉によって他人の心を動かし、自分に興味を抱かせることができるんだ。自分の考えは間違っていなかったんだ。」

 

そう分かって、私は今まで辛かったことが全て癒されていくのを実感しました。

 

それは一時的な喜びではなく、完全に鬱は寛解し、それ以降眠気もなくなり、それまではできなかった行動ができるようになりました。

また私に興味を持ってもらえるなら人との会話にも意味があると思い、人との会話も続けられるようになりました。

 

思い返してみると、私が思いついたこの「起業」のストーリーは私の中で何よりも最も大事なことであり、それを否定されれば激しく傷つきますが、それを認められることは何より嬉しいことだったんだなと思います。

 

しかし今でもまだ怠け癖は残っており、幼少期の完全に元気な頃と比べるとエネルギーが弱いですが、ビジネスモデルの実現に向け一歩ずつ着実に進んでいると思います。

 

そして現在に至るまで、相応の努力を成すことができました。

 

 

以上、ここまでお読み頂きありがとうございます。

 

こんなにも赤裸々に自分のことを綴ったのは私にとってもはじめてですが、それができるようになったのも関わってくださった方々、応援してくださった皆様のおかげです。この場をお借りして感謝を申し上げます。

 

まだまだ未熟ですが、今後とも精進してまいりますのでどうぞ温かく見守って頂けたら嬉しく存じます。

 

クラウドマッチングコミュニティ「kokopelli」代表 濱田